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どうでもいい小論文

著者名:Ph:DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD

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「どうでもいいことに関する論文を書いて」と頼まれた私がまず思ったことは、論文にテーマを設けるのはナンセンスであるということと、"どうでもいいこと"の定義があいまいでムズいということ。
前者に関しては、主催が決めたことなのでどうすることもできない。
後者の”どうでもいいこと”の指す意味としては、大きく二つに分けられると考えた。
一つ目は、世間一般にどうでもいいとされていること。
二つ目は、個人的にどうでもいいこと。
今回、私は本文を書くに当たって、「個人的にどうでもいいこと」を採用することにした。
また、論文として書ける内容ではない為、小論文(まがいの鬱陶しいエッセイ)として書くことにした。


私は、自分にとってはどうでもいい他人の問題に振り回される傾向があり、それが地味にストレスである。
そこで、「私はなぜどうでもいいことに振り回されるのか」という、読者視点からしてもいかにも"どうでもいい"問いを掘り下げることにした。


はじめに、過去に実際にあった、どうでもいいことで振り回された具体例をいくつか挙げて、分析していく。

①他者の恋愛相談
②他者の人間関係のトラブル
③他者の私用の手伝い
④他者との小競り合い(「言った vs 言ってない」「やった vs やってない」等)
➄TPO・普通を意識すること

 

①他者の恋愛相談
他者同士の恋愛のいざこざなど、私には関係ないことである。よって、どうでもいいことである。
これを延々と聞かされるのは、ウザみの極みである。
延々とグダグダを聞かせるタイプの人達は、終わっている人達である。
彼らは「(彼氏または彼女から)酷いことされたけど嫌われたくないの…」という、救いようのない矛盾を抱えている。
同じトラブルを繰り返しながらも頑なに別れようとしない彼らは、きっと記憶障害でもあるのだろう。
しんどい時だけ人にすがり付き、愚痴りたいだけなのだ。
こちらが事情を理解する為に質問をすると、不都合があるのか、決して詳細を語らない。
緊急の要件と称してたびたび人のことを拘束しておきながら、それに対する礼や経過報告をしない。
極めて自己中なのである。
彼らは頻繁に周囲の人間を頼るので、二人の関係が不安定であるのは周知の事実だが、体裁ばかり整えようと無駄な努力を続けているのである。
実に滑稽である。
プライドが高いと言えば聞こえは良いが、実際は自意識過剰の臆病者でしかない。
人の意見を聞かず、やることなすことズレまくっていて痛々しく、見ているこっちが凍える思いをするのである。
関われば関わるほど、恩知らずなことばかりしてくるので非常に胸糞悪いのである。
ただの粗大ゴミを、王子様ないし女神と崇めてしまう魔法にかかった馬鹿どもには付ける薬がないので、相手にするだけ時間の無駄である。


②他者の人間関係のトラブル
これもまた、他者同士のいざこざである為、私には関係がない。よって、どうでもいいことである。
いざこざの内容は、たいてい当事者たちによって都合よく"編集"されているか、又聞きの又聞きのような情報ばかりの為、なんの信憑性もなく、白黒つけるのが困難である。
証拠が不十分で結局どちらにも味方できないのだが、「ほんのちょっと」話を聞いただけでどちらかの肩を持たないといけないという謎の票集めに強制参加させられる。あの異様な空気が無理なのである。
強制参加させておきながらも、議論の熱が冷めてきたところで、誰のことも裁かずにお茶を濁して解散しやがるのである。
一体、なんの茶番なのか。ふざけやがって。
こちらは、醜い罵り合いを見物することが唯一の参加目的であるというのに、票集めに熱中するばかりで、己の拳で殴り合うこともせず、自分たちで卒論を出すことすらできない依存的な彼らには人として何の魅力もなく、しょうもないのである。
責任転嫁して不平不満を垂れ流すだけの、尻切れトンボである。
実にクソであり、相手にする時間が無駄である。


③他者の私用の手伝い
他者の私用である為、私には関係がない。よって、どうでもいいことである。
はっきり言ってしまえば、見返りなしに手伝う義理などないのである。
本来、当事者が「自力でやるべき」ことなので、私には手伝った労力に見合う謝礼を受ける権利があるはずだが、そんなことを堂々と主張すれば"器の小さい人" "恩着せがましい人"という無用なレッテルを貼られる恐れがある為、出方に気を付けなければならない。
なんなら、タダで手伝ってもらいたいのが向こうの下心であり、それが気色悪いのである。
この場合は事前に何かしらの交換条件を結んでおくのが無難である。
しかし、咄嗟に二つ返事で引き受けてしまった場合には、かなり歯痒いものがある。


④他者との小競り合い(「言った vs 言ってない」「やった vs やってない」等)
そもそもが糞尿のような内容である為、どうでもいいことである。
この手のことは、プロレス感覚で行う分には良いレクリエーションなのだが、うっかり熱がこもると、途端に面倒なことになるのである。
単なる暇つぶしが、いつの間にか相手をぶちのめしてやりたいというゲリラ戦に置き換わっているのである。
やがて、意味もなく体力を消耗している自分自身の愚かさに気付き、イライラが二倍に膨れ上がるのである。
実にしょうもないのである。


➄TPO・普通を意識すること
"こうするのが一般的"とされていることを意識しても、負荷がかかる割にほとんどその効果がないことが多い。よって、どうでもいいのである。
その具体例として挙げたいのが、服装である。
私は、TPOを意識して購入したものの、一度着たきりでもう二度と着ないと思われる服を何着も持っている。
二度と会うことのない他人を過度に意識することほど馬鹿らしいものはない。
私はその馬鹿馬鹿しさに気付いてから、別の会で着た服を着回しても構わない、好みではないデザインの服や自分らしくない服は買わない、というマイルールを定めた。

 

続いて、それらのどうでもいいことになぜ振り回されたのか、その原因を探ってみる。
その結果、大半が「相手に流されてしまったこと」「相手の人間性や時節を読み違えたこと」が原因であると分かった。
要するに、自分自身の責任なのである。

 

では、どうすればどうでもいいことに振り回されずに済んだのか、対応策を挙げてみる。
・耳を貸すべきではなかった。
・慎重に判断すべきだった。
・秒で断るべきだった。
・もっと早く引き際を悟るべきだった。
・見放すべきだった。
・反論すべきだった。
・請求すべきだった。
・他人の発言を真に受けて行動する前に、自分なりの解釈をすべきだった。
・相手を黙らせる必殺技を用意しておくべきだった。
・相手が自爆するまでとことん詰めるべきだった。
・120%の嫌味と悪意をこめて相手を罵るべきだった。
・もっとカッコいい捨て台詞を用意しておくべきだった。

 

<まとめ1>
ここまで書いていて気付いたことは、どうでもいいことは、本来は「どうでもいいことではなかった」ということだ。
そこに、何かが起こりそうだ、面白そうだ、相手の力になれるかもしれない、より良い方法があるなら取り入れたい等、何かしらの動機があったから接点を持ったのだ。
しかし、他者の思慮に欠ける対応や期待を裏切る出来事によって、私のストレス値が上がり、または興醒めし、どうでもいいことに降格してしまったのである。


<まとめ2>
「他人とは、見かけよりも全然ちゃんとしていないものである」と仮定して人と接することが、どうでもいい面倒事を回避する為の消極的かつローコストな方法である。
どうでもいいことの生産者であるどうでもいい人達は、その実態を明かすことがない。
あくまでも、卑怯で、不誠実なのである。「終わっている実態」を見せてしまうと夢がないので、見せられないのである。
常に含みを持たせて誤魔化し続けることでしか、現状を繋ぎ止めておけないのだ。
彼らの罪深い点は、説明すべき状況(説明できる状況)で説明しない点である。
説明なしに互いを理解することなど不可能だ。
彼らは、はじめから他者と折り合いをつけるつもりがないのだ。
心底それを諦めていて、開き直っているのである。
説明がなければ、状況は好転しているのか、悪化しているのか、という重要なことが何も分からないままだ。
知りたいことを分からないままにされるのは、極めてストレスである。
来ることのない列車を待たされているような気分である。
分からないことに時間や体力を割くことなど無意味だ。
話の続きがないのなら、その無意味な拘束から一刻も早く相手を解放すべきである。
「体裁の悪いことは教えられない」「実際のことを話すとややこしくなるから説明したくない」とかいう無責任な赤ちゃんマインドのままでは、誰からも信用されないであろう。
赤ちゃんマインドの該当者はすべからく、再教育して叩き直すべきである。
存在が迷惑である。
説明責任を果たさない者は、気が付いた時には人から距離を置かれていたり、嫌われているのが常である。
際限なく相手から労力を奪い続ける者は、いまどき用語で“テイカー”と呼ばれているらしい。
どうでもいいことに時間を割かない為には、テイカーの気質がある者とはなるべく関わらないようにするか、冷静に付き合い方を考える必要がある。
また、「どうでもいい人」とカテゴライズされることのないよう、他者の貴重な時間と体力を無心することなく、常に建設的かつ良心的であり、ワンランク上のおっさん or BBAを目指したいものである。


<まとめ3>
私にとって“どうでもいいこと”とは、思い出したくもない胸糞悪いこと、鬱陶しいこと、自分の人生に取り入れたくない価値観、無駄だと感じた出来事を指すものだと知った。
本文を作成中には、不快な感情を伴う未整理な思考を裁いていた為、非常に疲れ、無駄な時間を過ごしてしまったように感じる。
本文中に攻撃的な言葉を多く述べたが、致し方ないこととしてご理解いただきたい。
おそらく、真にどうでもいいこととは、そもそも人生で出会うことがないか、出会ったとしても意識に留まることもないだろう。
つまり、日頃何気なく使う“どうでもいいこと”とは、要らなくなった書類のようなものなのだろう。
手元にある限り、重荷になり続けるのである。意識に留まっているということは、未だにその書類の処理に迷っているということである。
手放すと決めたなら、即座に燃やすべきである。
思い出したくもないことには触れないのが最善であり、どこにも書き留めるべきではない。
自戒として書き留めるのであれば、最終的に火にくべるつもりで書くべきである。

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