top of page

どうでもいいという言葉について考えるということ

著者名:出前館スーパーゴッド会員

  • Facebook のアイコン
  • Twitter のアイコン
  • LinkedIn のアイコン
  • Instagram のアイコン

 新興宗教団体「三叉路の栞」から、どうでもいいことについて論文を書けという課題が提示された。しかし、どうでもいいのであれば論じる必要はないわけで、論じることに意味を持つようテーマを選定するとなると、「どうでもいいこと」という言葉の意味を問うのが適当だろうと考えた。したがって、本稿ではどうでもいいという言葉について考えるということはどういうことなのかを考えることとする。それから、論文形式は面倒なので小論文として書くこととする。
 どうでもいいという言葉をweblio辞書で調べてみると、「価値がない、どっち決まっても良い、あまり興味が無い、といった意味の言い回し。」と出てくる。その通りだと思うし、ほとんどの人はその意味で認識していると思われるが、その意味で人々が使っているかといえば、必ずしもそうではないと思う。
 例えば、「お前なんかどうでもいいよ」は攻撃性を含むし、文脈によっては好意の裏返しとも取れる。「もう人生どうでもいい」は辛いことを示している。「安倍晋三とかどうでもいい」は話題に対する嫌悪感を表している。このように、どうでもいいという言葉は、どうでもいいと思って使っていないことが多い。
 人が文章を書いたり言葉を話すのは、意思を記録したり伝達するためであるが、そうであるならば、辞書に書いてあるような意味でそのまま言葉を解釈することは、その言葉を使った目的に沿わない。言葉の意味を考えるときに大事なことは、その言葉を使った人の意図を汲むことである。意図を汲むには、単に言葉の裏を読むというだけではなく、その人の背景、文脈、価値観を想像しながら考える必要がある。
 つまり、どうでもいいという言葉の意味を考えるということは、人の気持ちを考えるということである。これは、平和を愛する三叉路の栞の教義、他者への敬意そのものなのである。

連絡先

私はいつも新しくエキサイティングな機会を探しています。ご連絡ください。

12-3456-7890

bottom of page